売春がなぜ悪いかを真剣考えてみる(2)~男ってのは浮気する生きものなのか!?っていうのは別に問題ではない~
絵:ヨハネス・フェルメール「娼婦(取り持ち女)」
売春がなぜ必要悪なのかというところで気が付いたら更新するのを忘れてたパターン
風と世の中というのは気まぐれにふくものですから。
更新だって気まぐれなわけです。
んなことはどうでもいい
そう。売春。なぜ必要悪なのか!?
そもそもですね、性にはダブルスタンダードというのがあるのです。
こんなこと聞いたことありませんか?
「男の浮気はしょうがない」
ここ最近では、「男も女も浮気はするもの」という考えは浸透しているようにも思えますが、
ではなぜそもそも「男は浮気する生き物」と考えられているのでしょうか。
それがつまり性のダブルスタンダードなのですます。
性のダブルスタンダードとは
砕いて言うと、
「男はセックス大好きでもいいけど、女がセックス大好きとかマジビッチ!」
という規範です。
ほら。胸に手を当て思い浮かべてみて。
男友達が、「ヒャッハー!ついに100人とセックスしたぜえええ!」っていうのと、
女友達が、「ヒャッハー!ついに100人とセックスしたわあああ!」というのでは、
なんか違うでしょ?
どっちも頭悪いのに。
男ってやつはまったく
これはなにもつい最近の話ではなく、ローマ時代から言われていることなのです。
生物学的にいうと、確かに霊長類は一夫多妻制です。
それは、生物学的に種を残すという生き物本来の目的としては正しと思います。
でも、キリスト教を中心に、一夫多妻制は「古い」とされ、「一夫多妻制ダメ絶対!」となったのです。
それでも、性のダブルスタンダードが消えたわけではないのです。
つまり、
男の性欲(セックス我慢できないんですけそ)はそのままに、妻の数が減ってしまったのです。
女はセックス大好きずっこんばっこんではいけません。
(ちょっと時代背景がこんがらがってるけど、今は100年くらい前を想像して読んでおいて下さい。しかもヨーロッパあたり)
では男はどこにいかなければいけないのでしょう。
そこで現れるのが売春婦です。
あれ?でも女はセックスしまくっちゃダメなんでしょ?
そう。女の性規範は、セックスしまくるな!です。
でも、男のセックス欲を受け止める女がいなければ、男は狂い死にするか、男同士でしなければならない・・・と考えられたのでしょう。
そのため、売春婦は、「女としてはダメだけど、男の性欲を受け止めるためには必要な存在」
つまり、これが「売春婦は必要悪」ってされたってわけ。
疲れたから、また続きは次回
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売春がなぜ悪いかを真剣考えてみる(1)~だいたい前置きで終わるというこのパターン~
ちまたでは売春がなんちゃらで話題ですね。
最初に断っておきますが、その問題に関してではまったくないです。
あと、「売春反対!!!!!女の敵!!!!!」という立場でもないし、
「売春ええやん。ガンガンいこうぜ!」っていう立場でももちろんありません。
売春って?
一言で「売春」っていっても、思い浮かべるものは人それぞれではないでしょうか?
でも、おそらく共通するのは
「男性もしくは女性」が、「自分の体」を「お金」で「売る」
売春とは、つまりこういうことです。
性的行為(性交、前戯、キスなどなど)を対価とし、金銭ならび、それ相応の報酬を得ることを、人は売春といいます。
で、ここで抜いておきたいのが、未成年はここの条件から抜いて下さい。
未成年は未成年でまたちょっとややこしいので。
だから俗にいう「援助交際」は別物とします。
さらに、人身売買などによる売春もここでは外します。
東南アジアでよくあるやつ。
子供をさらい、売春婦にさせるというあれです。
これはまったく別の次元の問題で、決して許してはいけない問題だからです。
あくまで、”自主的”に大人の女性もしくは男性が、金銭的報酬を得るために性的行為を行うものとします。
まぁ・・・風俗とかそこらへんを想像して。
で、とくにここでは、女性のみとしちゃいます。
なぜなら、男性がまざるとめんどうだから!
じゃあなんで売春に嫌悪感をいだくん?
なぜ、自分でやってることなんだから、それを人にとやかくいわれなきゃいけないのか?
セックスそのものはおそらく、嫌悪感・・・とまでは行かなくても、デリケートなもの、と思うのです。
電車の中で「セックスしよ!」なんておっきな声で言えないし、
そもそも電車の中で叫ばないで欲しいし、
そもそもどういう状況だよ!って感じだし。
でも、セックスはデリケートであっても、多くの人が経験するもので、素敵な行為だと思うのです。
※セックス未経験の童貞の皆様・・・メンゴ
で、なぜ、それに嫌悪感を抱くかって問題。
なぜならお金が発生するから?
でも、それよりも、なによりも、なんだか、「体を売る」ってこと自体、なぜダメなの???
なんで???
そもそも売春っていつからあるの?
「世界で一番古い職業」と言われる売春。
その過去はめっちゃ古いです。
文献として残っている最古のものは、古代ローマ時代だったと思います(そこんとこ曖昧w)
ただ、まぁそれくらい古くからあると言うことです。
ちなみに、ローマ帝国は紀元前27年からと言われています。
そんな古い職業売春がなぜ批判されるの???
宗教であったり、法的にであったり・・・そういうものに違反するから批判されるといえば確かにそうなんですけど・・・。
ダメならダメで完全禁止にまですればいいじゃん!
って言うわけにもいかない(とされている)のが売春の複雑なところ。
なぜなら、売春は「必要悪」として考えられているから・・!?
>>つづく
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恋愛について真剣に考えてみた
恋・・・してますか?
突然ですが、質問です。
あなたは今、恋していますか?
誰にしてますか?
ところで恋ってなんですか?
おいしいですか?
苦しいですか?
「ねぇ・・・恋愛ってなんなの?」
恋愛の定義をきちんと言えた人間はきっと、ノーベル賞を受賞できると思っています。
それくらい恋愛ってのは複雑で難しいので、他人の答えを求めるのではなく、自分で自分が納得できる言葉をみつけましょう。
どういうことよ!人を愛しいと思う!それが恋愛でしょ!?
分かってるじゃないですか。
ちなみに、今日本で言われている恋愛というのは、文化人類学的には「ロマンティック・ラブ」と言われているものです。
つまり、「人と人が運命的に出会い、この人と一生一緒にいたい!」となるということです。
ざっくりいうとね。
ロマンティック・ラブ・・・なんてロマンティックなの!
そう。とってもロマンティックなロマンティック・ラブ。
一応起源というのがありまして、これは騎士道盛んなヨーロッパが起源だと言われています。
確か、フランス革命とかより前のあたり。
素敵!騎士(ナイト)が文字通りお姫様と恋に落ちるのね!!!!!
そうです。ナイトがお姫様と恋に落ちるのがロマンティック・ラブの起源と言われています
(諸説あります)
でもよく考えてね。
ナイトってなに?
え?ナイトって騎士よ!姫を迎えに来る愛の騎士よ!
冷静になりましょう。
騎士というのは城の城主に使える、いわゆる部下です。
で、姫・・・まぁ本当は女王というべきでしょうか、でも姫のほうが響きがいいから姫で。
で、その姫ってなに?
自分が使える王様の嫁でしょ?
え・・?あれ・・?
そう。ロマンティック・ラブの元は不倫です。
某芸能人が言う、不倫は文化というのははからずとも間違いではないのです。
つまりこういうこと
当時、貴族同士の結婚はいわばお見合いです。
親同士などが決める儀式です。
そこに、「この人は私の運命の人!一生添い遂げたいわ!」という感情がわき上がるかと言ったら必ずしもそうではないでしょう。
ですが、騎士との不倫はそうではなりません。
互いに、文字通り命をかけて関係をもつのです。
そう、互いに「この人が運命の人だ!」と信じて・・・
ちなみに日本にロマンティック・ラブが入ってきたのは明治時代
つまり、恋愛って実は、日本に根付いたのはたかが100年やそこらなのです。
しかし、これはあくまで、社会的・文化人類学的見解です
「ちょっと待ってよ!源氏物語の源氏とか、古典にはもろもろ恋がかかれているじゃない!」
確かに、そうです。
当然、私たちが今「恋愛」と感じている感情、これが当時の人たちがなかったとも言えません。
ただ、残念だながら、それを知るよしはないのです。
心理というのは今を生きる人間からしか知ることはできないのですから。
ただ、言うなれば、源氏は別に一人の人だけに恋してたわけじゃなく、同時並行であったということ、
そしてそれが別段なにも問題ではなかったということは、ロマンティック・ラブではない、ということができます。
あくまで文献上では・・です。
恋愛って奥深い
ところで、じゃあ今生きる私たちが、恋愛を全て共感できるかと言ったらそれは違います。
世界を見渡せば、一夫多妻線があったり、見合い結婚があったり・・・宗教・文化によって恋愛の形は様々、そしてきっとその心理を互いに理解するには難しいのです。
だからね
恋愛ってなに?悩む暇があったら当たって砕けろホトトギス!
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『non-no』と『an-an』の創刊時からセックスについて真剣に考えてみた
といってもファッション的な意味じゃなくて、もちろん、エロイ観点で。
『non-no』と『an-an』っていつからあるの?
『an-an』は1970年に平凡出版(現マガジンハウス)がフランスのELLEと提携して創刊されて、
『non-no』は1971年に集英社がアメリカのGLAMOURと提携し創刊されました。
ちなみに創刊時の『an-an』は結構過激で、少年のフルヌード写真を載せたり、素っ裸の女性をのせたりと、今でやったら完全廃刊レベルです。
ちなみに、創刊時の『non-no』と『an-an』はお茶の水にある 石川武美記念図書館で見ることができます。(少なくとも5年前は見れた)
で、この雑誌の特徴って?
この両雑誌の特徴は、「少女」たちの生活に関する情報を提供しているってこと。
『non-no』は創刊号に
「ノンノは今後、あなたといっしょに、美しい人、美しい生活、美しい心を探しつづけていきたいと考えます」(『non-no』1971年創刊号)
というメッセージを掲載。
特に、この生活の提案のなかで最も重要視したのが恋愛、結婚、そして性に関するテーマなわけ。
で、特に面白いのが、これ!
これは実は『non-no』に載ってたマンガ。
なんと、新婚初夜!で初体験!!!!
今だったら考えられない!こんな情報載せようものなら
「は???」
となりかねない!
でも当時はそういう性観念だったということ。
でも、そして雑誌はある意味、「読者への規範」であったと考えると、
これはすごく「規範的なカップル」なわけ。
ここから、読み取れるのは70年代は
恋愛があって、結婚があって、セックスがあるというこういう順番があるということ!
じゃあ80年代は?
80年代半ばになると、結婚の特集よりも、恋愛に関する特集の方が目を引くようになる。
と、同時に性に関する話題も恋愛と結びつけて取り上げられるようになった。
「好きになってSEXするか、SEXしてから好きになるか」
(『an-an』1985年4月5日)
と『an-an』では書かれていて、このとき辺りから、
恋愛があって、セックスがあって、結婚があるという流れに少しずつ移行していった(少なくとも雑誌野中では)
つまーーーーり、
「別に結婚相手じゃなくてもセックスしてよくね?付き合ってるんだし♪」
となるわけです。
今でも似てるよね。
そして90年代・・・
すっかりなじみがある『an-an』のセックス特集。
『non-no』でも雑誌丸ごとではないしろ、セックス特集は目にするようになります
内容としては、セックスの悩みや、読者の体験談、セックスに関するアンケートが多く取り上げられたのです。
ごめん2000年以降は調べてない・・・
でもたぶんよりセックスに関するテーマはオープンに、そして自由になってるのではないかしらん。
両雑誌から考えられるセックスと少女
最初は雑誌が一方的に(ある程度需要に沿って)
恋愛→結婚→セックス と唱えてたけど、
徐々に
恋愛→セックス→結婚 へと変わっていた。
で、今ではきっと
セックス→恋愛→結婚 となってもきている
ただ、別にセックスした相手と必ず結婚する訳でもないし
セックスした相手と恋愛するわけではない。
たった30年とか40年前なのに、雑誌の中でもセックス観って変わってるのね。って話でした。
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自慰マニュアル―男の気持ちいい!!オナニー (DATAHOUSE BOOK)
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ビキニと下着の違いについて真剣に考えてみた
隠す部分一緒やん!
それはある日の昼下がり・・・ある人(匿名)がこんなことを言っていました。
「なんでビキニで海岸あるくのは恥ずかしくないのに、下着で街歩くのは恥ずかしいの?隠す部分いっっしょやん!」
当時の私はこの発言に対して
「そうだ通報しよう」
と思ったくらいでした。
でも大人になるにつれ、この言葉が頭を巡るようになったのです。
「ほんまやん!隠す場所いっしょやん!!!!」
隠す場所一緒なのになんで恥ずかしいの?
そもそも、ビキニも水着も隠す場所は「乳」と「性器」です。
ここをあらわにして歩いていたら通報されるか襲われます。
おそらく通報される方が確立として高いので、前科持ちになりたくなければ控えましょう。
ここをバッチリ隠しているわけですから、ビキニは確かに恥ずかしくないですね。
現に、海やプールではビキニ姿のお姉さまがたが恥ずかしげもなく歩いています。
※足が太くて・お腹が出てるから恥ずかしい!!!!なんていう、そんなの知ったこっちゃね~という理由での恥ずかしいはこの場合無視します
では、同じ場所で下着でうろうろできますか???
おそらく、下着では無理!!!という人が多いのでは?
でもよく考えて!ビキニも、下着も、ほとんど形が一緒やん?
何がだめなの?
問題は隠す場所じゃないんじゃないの?
ビキニでも下着でも、隠す場所は一緒。
ということは、隠す場所が恥ずかしいのではなく、下着そのものが恥ずかしいってこと!?なのでは!?
下着ハァハァ///
男性諸君!こんな経験はないかね!?
突然、女の子の部屋に遊びに行ったとき、
「あー!ちょっとまって洗濯ものがほしっぱなの!」
と慌てて洗濯物、主に下着を一目散に片付ける女子。
そんな女子の姿に萌えたことはないかね!?
ないですか、すいません。
でもじつはこれがポイントなのではないか!?
女子にとって 下着=恥ずかしい なのだ!
じゃあ下着屋なんてアウトやん!通報やん!!
でも、下着屋を見て大慌てで顔を隠す女子なんていないよね?
男子はよく分からない衝動で恥ずかしい人がいるらしいけど。
つまり、こう
下着は下着でも、自分が身につけたことがある下着=恥ずかしい なの。
じゃあなぜ下着が恥ずかしいのか!?
これは、下着=性器を隠すもの というより、
下着=性器に触れているもの! というイメージが強いからじゃないかと思う。
性器に触れるというのは、すごくセンセーショナル。
触れる=性器の一部とまで考えれる。
え?でもビキニも触れてね?
確かにビキニも触れてます!でも、ビキニはどちらかというと、
ビキニ=隠すもの というイメージが強いんじゃない?
つまり???
ビキニと下着の違いっていうのは、隠す部分とかそんなものではなく、それぞれが持つイメージが違うんじゃないかしら!?
つまりビキニという記号、下着という記号
それぞれが持つ記号としての意味が違うんじゃないかしら?かしら?
ん~しっくりこない
あとは、ビキニを着ける場面というのは、みんながビキニを着ているから自分も恥ずかしくない!というのもある。
でも、これは「みんながつけているから恥ずかしくない」のか「恥ずかしくないからみんな着けている」のか、ニワトリが先か卵が先か?ってことになってくるし、これはいまいちしっくりこない。
変態について真剣に考えてみた
変態ですかーーー!?
突然ですが質問です。
あなたは変態ですか?
ここで変態と答えた人にさらに質問です。
どう変態なんすか?
セックスが大好きなんです!
それは健康的なことです。
実はおもちゃを使って彼女をイカせまくるのが好きです。
まぁそういう時もありますよね。
複数プレイが・・・(ry
それは好奇心です。
実はパンツが・・・
変態だ!あなた変態だ!!!!!!
はい。別に変態に定義なんてないので、個人の線引きだとは思いますが、
変態=性的に倒錯しちゃってる人 と定義した場合どうなるでしょう。
性的倒錯って?
たまに、性的倒錯=フェティシズム と言う人がいますが、これはちょっと違います。
フェティシズムは性的倒錯の一要素です。
じゃあ性的倒錯とは、なんざましょ。
アメリカの精神医学が定める性的倒錯は9個あります
1 露出
2 フェティシズム
3 接触性愛
4 小児性愛
5 マゾヒズム
6 サドヒズム
7 服飾倒錯的フェティシズム
8 窃視症
9 上の8個以外の性的倒錯(糞尿愛、動物愛、屍愛など、通常ではちょっと考えられないもの)
やばい!私性的に倒錯しちゃってる?!
こんな会話を友人としたことはありませんか?
A「ねぇねぇ!BってさーMだよねーー」
B「そうなのー!私Mなんだよねー。いじめられるの大好きーーー」
この場合、Bは「5 マゾヒズム」でしょうか?
答えはNO。
こんなレベルのものを性的倒錯にしたら、少なくとも、私の周りは全員倒錯しています。
性的倒錯は「精神病」の一つです(人間学・心理学的な批判はあります)
タダの趣味思考なんかじゃありません。
ちなみに、よくいうMとかSというのは、マゾヒズムでもサドヒズムのほんのさわりです。
(たまに、ガチの人はいますが・・・)
これは現在いろいろ調べ中。
手元にある本には、「サドヒズム」の事例として
「ムチで女性をたたきのめさないと性的興奮を得ることができない」男性の例があります。
○○しないと性的興奮を得ない!
つまり、普通のセックスもできて、その中で特にいじめられるのが好き♪とかそういうレベルなら性的倒錯ではないということです。
逆に、放置されるなどのとにかく辱めをうけないと性的に興奮しない!と言う人はもしかしたら・・・。
どちらにせよ、それで心が病むほど悩んでいなければ安心なはずなので、大丈夫です。
私・・・足フェチなんだけど・・・変態なの?
足いいですよね。足ペロペロ
でも足フェチというのは性的倒錯にはなりません。
フェチというのは、実は、「人体の部分を指さない」のです。
つまり
× 頭フェチ
× 髪フェチ
○ 帽子フェチ
○ パンツフェチ
てことです。
で、これらに対する性的妄想が6ヶ月以上続いていて、それによって生活になにかしら支障を来している人のことです。
だから、足フェチの人は安心して下さい。
正常です!(それでも足を見ないと興奮しない。足がないと生きていけない。むしろ足さえあればいい、なんて思い始めたら病院いった方がいいです。私は専門じゃないんで知りません)
オナニーの歴史2~ヴィクトリア朝時代編~
ヴィクトリア朝というといつかというと、1837年~1901年のイギリスのことです。
『不思議の国のアリス』とかそこら辺の時代ですね。
ヴィクトリア女王が統治していた時代のことです。
この時代が私は大好きです。
理由は特にないんですけど、この時代は「性」が模索していた時代ではないかと、感じるのです。
現在の「性」の美徳、また、「売春よくない!ダメ絶対!※ただし、男は女を買ってもいい」という倫理(?)感がより顕著に表れた時代ではないでしょうか。
で?
まぁ、そんな時代なんですけど、相変わらずオナニーに関しては批判的というか
「え?オナニーするの?バカなの?死ぬの?」という考えでした。医者がそういってるんだからもうそういう常識だったのでしょう。
医学なんて常に進化いているから、今日ある常識が100年後には都市伝説!なんてことありえるかもね♪
で???
当時の考えとしては、「精液を余計に消費すんじゃねーーよ」という考えがあって、オナニーや夢精で精子を失うのは危険だとしたのです。
だから、避妊も「精子の無駄遣い」扱いする医者もいたそうな。
度を過ごして精力を浪費する人々は弱い子孫を産むに違いない
(『ヴィクトリア朝の性と結婚』p195)
わお!だから現代っ子は弱弱なのねw(遠い目)
だから、当時は、オナニーがやめられない人は病院にいって治療をしたほどだったのです。
病名:「オナニー」なんていやですね。
でもそれがつい200年近く前の世界だったのです。
マスター・べーション恐怖症!?
ヴィクトリア朝時代以前も、前述したとおり、オナニーは悪癖でした。
でもそれはキリスト教的考えが強かったのです。
でも、ヴィクトリア朝では、それは「医学的によくないよ?死にたいの?」っていう考えになってきました。
故に、当時の著書には、生理学や医学の観点からオナニーを批判するものが多くあります。
「オナニしたいけど、オナニーすると死んじゃうよう。怖いよう!!!」
と、ヴィクトリア朝時代の人たちはガクブルしたことでしょう。
特に子供がオナニーなんてするわけない!!!!!!!!
これを読んでる人は、まぁきっとキリスト原理主義でもなんでもないと信じていますが、おそらく10代でオナニーを経験しているのではないでしょうか?
でも、ヴィクトリア朝時代には
「うちの子がオナニーするなんて・・・病気だわ!!!!!!!!!!!」
とパニックになるほどでした。
これを、「ロマンティック・チャイルド」といいます。
これはイギリス・ロマン派が広めた観念ですが、ようは「子供(特に幼年時代)は無垢で、性なんてないのよ!」っていう考えです。
イギリス・ロマン派の著書にはまぁそれはきれいなきれいな子供達が描かれているのでしょう。
(読んだことはない)